とりあえず、ここから

気がついたらオーストラリアで働いていました。人生何が起こるか本当に分かりません。

Specialist とGeneralist

日本で仕事をしていたときに、僕が考える使える人材の条件の一つとして、

  • 一つの事に深く精通をしていなくても良いので、何でもそつなくこなす事ができる人

というのがありました。実際資格などを所有しているかどうかよりも、一緒に仕事をしていて、感心をさせられる人材というのは、全体的な仕事における自分の役割を出来るだけ早く理解をし自分を合わせる事が出来る人。それは流れを俯瞰的に見ることができて、自分の立ち位置を常に意識している人です。そういう適正を持った人というのは、基本的に飲み込みや要領が良く、2,3割説明をするだけで、僕がイメージする7,8割ほどで行ってくれます。ただ、その為、必要な人材の条件に合った仕事の定義をする時に大変困る事も事実でした。

この考え方は結構日本においては殆どの方が共感してくれます。しかし、ここオーストラリアでは全く異なるという事を痛感させられます。

この国で働いている労働者は皆、広義の意味で基本的に何かしらのSpecialistのカテゴリーに組み込まれるような気がします。そのため、Specialistとして基本的な役割と業務範囲を仕事の募集要項に定義するのですが、それに沿った仕事以外での事をやってもらう時は相当苦労します。「このような仕事は仕事の募集時にあった業務範囲内ではない」などの不平は当たり前の権利のように上がってきます。要するに「自分はそのSpecialistでは無い=専門ではない」という考えです。そこで、指定業務との関連性などを説明したりする必要が出てきます。

そのため、仕事において自分らで与えられた業務範囲を自分の杓子で解釈し、遂行する現地の人が多い様に見受けられます。虫食いのように仕事を自分の好きなようにかじっていくのです。当たり前ですが、これをされてしまうと業務上カバーしきれない穴が出来ます。これらはマネージメントが見落としてしまうことが多く、結果放置される事になります。これらは問題が大きく表面化してから渋々、マネージメントが別のリソースを手配をすることで対応することが多いようです。

こういった事を垣間見る度に、僕は日本人のあの細かさ(Generalist的要素というのでしょうか?)を懐かしく思うのです。いやいや、やはり阿吽ですよ、阿吽。