見えている景色の違い
先日友人と話をしていて、同じ物を見ていても人によって本当に認識している度合いが違うのだと痛感させられた事がありました。
僕は気づきという言うものは、以下の二つによって構成されていて度合で図ることが出来ると考えています。
1.認知の質と度合い
2.認識の質と度合い
正直2に関しては保持している情報・知識との脳内での結びつき作業ですので、読書などの知識量を増やすことで広げたり、上達させることが可能なのですが、1に関しては、より素養的な部分が多いと思っています。
上記の両方の能力が高い人達(特に1の能力が高い方々)に出会うと、本当に嬉しくなります。それは、僕に一番欠けていて欲している能力だからです。
先日ポアンカレ予想の数学者の本を読む機会がありました。天才であるはずの彼らだからこその悩みがあり、僕では理解が出来ない事だらけだったのですが、分かった事というのは、彼らの見えている景色は同じものを見ていても、違うということでした。
気が付くことに対する喜びと同時に、気が付きたくないことも気が付いてしまう辛さがあるのでしょう。
多分、見えている人たちからすると、見えていない人たちに存在するという事を伝える事は本当に難しいのだろうのでしょうね。
出来るものなら、その高見を一度垣間見たいものです。